道東川湯温泉 明治時代の硫黄採掘 阿寒摩周国立公園内

道東川湯温泉
阿寒摩周国立公園内
明治時代の硫黄採掘
ホーム
強酸性の硫黄泉
地下水と温泉層の逆転現象
川湯温泉はクスリであった!
湯治場だったころの川湯温泉
明治時代の硫黄採掘
公衆浴場「温泉ノート」
川湯温泉駅
地図
 
川湯温泉 宿泊施設
国民宿舎ホテル川湯パーク
川湯第一ホテル忍冬
温泉浪漫の宿湯の閣
KKR川湯
お宿欣喜湯
川湯観光ホテル
名湯の森ホテルきたふくろう
御園ホテル
 
明治時代の硫黄採掘  川湯にあるアトサヌプリ(硫黄山)は、名前のとおり硫黄鉱石の豊富な山であった。
 採掘が本格的に始められたのは、明治10年(1877年)のことで、釧路の魚場持ちだった4代目佐野孫右衛門が、硫黄山の硫黄鉱区域約5万坪を開拓使から借り受け、30数人の抗夫を使って行った。佐野は、その翌年から3年がかりで、硫黄山の山元から釧路までの道路を切り拓き、馬と船を利用した運搬を行った。
 明治16年(1883年)には、硫黄の精錬器を導入し、1万3千8百トンを採掘し、全道一の採掘量をあげたこともあった。しかし、その後は生産が落ち込み、2年後には銀行家の山田慎に譲渡されるが、山田慎も資金不足のため、明治20年(1887年)に安田財閥の祖、安田善次郎に経営権が移った。安田は、その年のうちにアトサヌプリ(硫黄山)から標茶間の鉄道を完成させ、標茶から釧路間の運送用川舟を蒸気船に変更し、蒸気精錬器を導入して事業の近代化を進めた。
 この鉄道(通称硫黄山鉄道)は、当時道内で2番目のもので、機関車はアメリカ製、貨車はイギリス製、レールはドイツ製で、工期7カ月、総工費17万6千9百円で完成させたのだった。
 鉄道が通るようになると、沿線には次第に家が建ち並び、明治25年((1892年)には、一般の旅客も乗せる釧路鉄道へと生まれ変わった。しかし、鉄道による硫黄の大量輸送や蒸気精錬器を使った近代的な事業は、資源の枯渇を招く結果となり、明治29年(1896年)、硫黄採掘は中止になり、鉄道輸送も廃止となった。
 翌年、鉄道施設を国に20万円で売り払い、安田は硫黄採掘事業から撤退した。この鉄道が現在の釧網本線の基礎となっている。
記:財団法人自然公園財団より転載
川湯温泉 宿泊施設
ホテル川湯パーク
ホテル川湯パーク
川湯第一ホテル忍冬
川湯第一ホテル忍冬
温泉浪漫の宿湯の閣
温泉浪漫の宿湯の閣
KKR川湯
KKR川湯
お宿欣喜湯
お宿欣喜湯
川湯観光ホテル
川湯観光ホテル
名湯の森ホテル
名湯の森ホテル
きたふくろう
御園ホテル
御園ホテル
(C) Copyright 2000-2017 kawayu.net .All rights reserved.
制作、著作、運営管理 道東川湯温泉