湯治場だった頃の川湯温泉
2020.10.08

川湯温泉の名前は、アイヌ語の「セセキベツ」(湯の川)に由来します。その意味のとおり湯川温泉と名づけるはずでしたが、すでに函館の温泉名に使われていたため 並び順を入れ替えて川湯温泉と名づけられました。
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今でも名前の由来となった湯の川が街の中心を流れ、温泉川として親しまれています。
川湯温泉の発見は硫黄山で硫黄の採掘が始まったころとも言われていますが、はっきりとはわかっていません。

明治19年に初めて温泉宿は開かれましたが、硫黄山で働く坑夫たちの賭博場になり営業不能となってしまいました。
明治37年に仁伏で木材業をしていた浅野清次が全く人気のない川湯温泉に温泉宿を再び開業しました。これが五月女旅館で、今日の川湯温泉の元祖と言えます。
このころから川湯は優れた硫黄泉質の温泉が世の中に広まり始め、湯治場として利用されるようになりました。

当時は、斜里や北見方面などからの湯治客が中心で、特に農閑期に入ると農家の人々が1年の体の疲れを癒すために多く訪れたようです。
このように、川湯温泉は湯治場として始まったのです。
湯治客は、馬車に米や味噌、鍋や釜や布団などを積んで川湯温泉にやって来ました。川湯の温泉で3週間も湯治すれば病気や怪我が治るといわれ、宿に寝泊りしながら治療しました。

硫黄泉の強い刺激を受けた体を休めるために、中性の温泉で「なおし湯」をすることもあり、さまざまな泉質の温泉を有する川湯ならではの湯治が行われていました。
そして怪我など治ると感謝の気持ちを込めて御不動さん(不動明王)にお参りし、使っていた杖などを納めて帰った湯治客もいました。
また、温泉は人の湯治場としてだけでなく、客車や木材運搬用の馬が怪我をした時に治療する場所としても利用されていました。
記:川湯エコミュージアムより転載
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