湯治場だった頃の川湯温泉
2019.10.08
川湯温泉の名前は、アイヌ語の「セセキベツ」(湯の川)に由来します。その意味のとおり湯川温泉と名づけるはずでしたが、すでに函館の温泉名に使われていたため 並び順を入れ替えて「川湯温泉」と名づけられました。今でも名前の由来となった湯の川が街の中心を流れ、温泉川として親しまれています。
川湯温泉の発見は硫黄山で硫黄の採掘が始まったころとも言われていますが、はっきりとはわかっていません。明治19年に初めて温泉宿は開かれましたが、硫黄山で働く坑夫たちの賭博場になり営業不能となってしまいました。
明治37年に仁伏で木材業をしていた浅野清次が全く人気のない川湯温泉に温泉宿を再び開業しました。これが五月女旅館で、今日の川湯温泉の元祖と言えます。このころから川湯は優れた硫黄泉質の温泉が世の中に広まり始め、湯治場として利用されるようになりました。
当時は、斜里や北見方面などからの湯治客が中心で、特に農閑期に入ると農家の人々が1年の体の疲れを癒すために多く訪れたようです。このように、川湯温泉は湯治場として始まったのです。
湯治客は、馬車に米や味噌、鍋や釜や布団などを積んで川湯温泉にやって来ました。川湯の温泉で3週間も湯治すれば病気や怪我が治るといわれ、宿に寝泊りしながら治療しました。硫黄泉の強い刺激を受けた体を休めるために、中性の温泉で「なおし湯」をすることもあり、さまざまな泉質の温泉を有する川湯ならではの湯治が行われていました。
そして怪我など治ると感謝の気持ちを込めて御不動さん(不動明王)にお参りし、使っていた杖などを納めて帰った湯治客もいました。また、温泉は人の湯治場としてだけでなく、客車や木材運搬用の馬が怪我をした時に治療する場所としても利用されていました。
記:川湯エコミュージアムより転載
川湯温泉宿・ホテルのご予約はこちら!
・硫黄山の麓「川湯温泉」Home
・医学から見た川湯温泉の特質
・川湯温泉は強酸性の硫黄泉
・川湯温泉の湯は「摩周湖」の伏流水!
・川湯温泉はクスリ(薬)であった!世界でも珍しい川湯温泉
・川湯温泉は地下水と温泉層の逆転現象!
・川湯温泉 明治時代の硫黄採掘
・湯治場だった頃の川湯温泉
・川湯温泉 公衆浴場 「温泉ノート」
・川湯温泉駅 駅舎の一部には足湯も設置 駅舎と喫茶店が併設
・御園ホテル閉館
・国民宿舎ホテル川湯パーク閉館
・川湯温泉周辺観光地 神の子池・裏摩周展望台、芝桜公園
・川湯温泉 弟子屈町、観光協会、環境省、温泉ホテル宿泊予約
・北海道道東「川湯温泉」婚活&新婚旅行
・北海道道東「川湯温泉」男性 美容・健康
・北海道道東「川湯温泉」女性 美容・健康
・撮影、制作、著作、運営管理
2019.10.08 19:35
| 固定リンク
| 北海道道東 硫黄山の麓【川湯温泉】阿寒摩周国立公園