硫黄山の麓「川湯温泉」
2019.10.22
硫黄山の麓「川湯温泉」 阿寒摩周国立公園
 2017年8月8日。阿寒国立公園から阿寒摩周国立公園に名称が変更されました。
 川湯温泉は「硫黄山」の麓、阿寒摩周国立公園内に位置します。川湯温泉から程近い
摩周湖の水が湧くエメラルドグリーンがとても綺麗な「神の子池」が阿寒摩周国立公園に名称が変更され、同時に阿寒摩周国立公園に編入されました。
川湯温泉から車で約30分です。こちらもおすすめの観光地です。但し冬季通行止めです。

硫黄山の麓「川湯温泉」の歴史 阿寒摩周国立公園
■セセクベツ
川湯温泉の語源となったアイヌ語で「湯の川または熱い川」の意。昭和40年頃まで見られた風景(種市佐改コレクションより)

管理者、2012年には好く御園ホテルへ泊まりました。今では閉館して建物しか建っていませんが。当時泊まった時に館内に張ってあった川湯温泉の歴史を写真に撮りました。昭和十四年七月の朝香大宮殿下ご宿泊など、川湯温泉の歴史を多少記録しています。御園ホテルで撮った歴史を少しづつ作っていきますのでもうしばらくお待ち下さい。

管理者、思うのですが写真に写る昭和40年頃までの川湯温泉街に流れる湯の川を復活させてみてはいかがでしょう?自然なので難しいかも知れませんが。けど管理者、これを見た時「何故この自然を残しておかなかったのだろうか?」っと。この自然こそが川湯温泉街の自然美、歴史だと思うのですが・・・

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2012/12/18~
 北海道は道東の弟子屈(てしかが)町。源泉の硫黄山の麓 川湯温泉『強酸性の硫黄泉掛け流しの湯』 群馬県草津温泉に似た泉質の強酸性「明ばん泉」。管理者(オホーツクドットコム:北見市在住)、ここ数年悩まされていた「肩こり」が一発で良くなり(ただし私、コンピューターの仕事をしており 数日するとまた「肩こり」になりますが月に数度は入浴しております)、冷え性&手足の多汗症も良くなりました。そんなことから 川湯温泉の歴史など交えながら紹介していきたいと思います。私同様、体の悩みをお持ちの方、川湯温泉に「温泉療養」に来ませんか?観光にも是非お越し下さい。食事は「六角精児の呑み鉄旅」の取材を受けた味楽寿司がおススメ。

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2019.10.22 18:54 | 固定リンク | 川湯温泉
川湯温泉は強酸性の硫黄泉
2019.10.21
川湯温泉 強酸性の硫黄泉
 川湯温泉といえば硫黄泉である。国内3名湯の1つ群馬県草津温泉の泉質に酷似しており、北の名湯として全国の温泉ファンに高く評価されている。
 温泉街に入ると、硫黄の匂いと至るところに立ち上がる湯煙が、昔ながらの温泉情緒を醸し出している。立ち並ぶホテルや旅館の中には、自家源泉をもつ宿もあり、それぞれに匂いや湯ざわりが微妙に異なっている。
 川湯温泉の湯は、摩周湖の伏流水が硫黄山の地下を通り抜ける際に熱せられ、湧出していると考えられている。泉質は硫黄泉で、30℃~65.5℃。リュウマチや糖尿病、皮膚病に特効のある温泉として有名だ。

川湯温泉 強酸性の硫黄泉
 硫黄分を含む強酸性の温泉は刺激が強く「恋の病以外は何にでも効く」といわれるように さまざまな効能をもっている。また、pH0.8~2.4で硫酸イオンに富んであり、湯量も豊富である。

写真:硫黄山から吹き出す硫黄
記:財団法人自然公園財団より転載


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2019.10.21 06:09 | 固定リンク | 川湯温泉
川湯温泉はクスリ(薬)であった!世界でも珍しい川湯温泉
2019.10.20
●川湯温泉はクスリ(薬)であった!
屈斜路湖に住んでいたアイヌの人たちは、この温泉をケガや病気の時、クスリ(和語の薬と同義語)としていつも使用していました。この温泉の流れ込む屈斜路湖をクスリ。トウ(薬湯湖)と呼んでいました。この付近の旧地名には、クスリベツ(釧路川)などとクスリと言う名称が多く、釧路の地名もこの語源と言われています。

●世界でも珍しい川湯温泉
川湯では、深さ1m~30mの浅い層から最高65度の温泉が自然湧出しています。この温泉は硫黄山の硫気活動によるもので、地中で熱せられた地下水が水蒸気となって上昇し、硫気孔の近くで蒸気と分離、お花畑の下を流下する層状泉となって湯の川沿いに湧出しています。川湯のように、きわめて浅い層でこのような現象がみられ、その下の層では普通の地下水になっている例は、世界でも珍しい温泉です。また、日本でも有数の強酸性泉(pH0.8~2.4)で浴用・飲用により各種の疾病に効能があります。

●川湯温泉の由来
川湯温泉はアトサヌプリ(硫黄山)の北麓に位置し、セセキベツ(熱い川)と呼ばれていたことから「湯の川」と言っていましたが、その当時すでに知られていた函館の「湯の川温泉」とまぎらわしいので、「川湯温泉」に改めました。

川湯温泉 川湯温泉ではクスリ(薬)であった!世界でも珍しい川湯温泉

記:川湯温泉共通案内板より転載

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2019.10.20 18:53 | 固定リンク | 川湯温泉
川湯温泉の湯は「摩周湖」の伏流水!
2019.10.11
川湯温泉 川湯温泉の湯は摩周湖の伏流水
 川湯温泉の湯は、摩周湖の伏流水が硫黄山の地下を通り抜ける際に熱せられ、湧出していると考えられている。泉質は硫黄泉で、30℃~65.5℃。pH0.8~2.4で硫酸イオンに富んでおり湯量も豊富。

写真:摩周湖
記:財団法人自然公園財団より転載

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2019.10.11 18:44 | 固定リンク | 川湯温泉
川湯温泉は地下水と温泉層の逆転現象!
2019.10.10
川湯温泉 地下水と温泉層の逆転現象
 硫黄山の麓には1,500以上の噴気孔があり、大地のエネルギーを間近に感じることができます。この硫黄山は川湯温泉の源にもなっています。硫黄山の地下では190度13気圧以上の熱水が絶えることなく地上に向かって上昇しているものと考えられています。その熱水は地上近くなると蒸気と熱水に分離され蒸気は硫黄山周辺の噴気孔から噴出します。一方、熱水はつつじヶ原の地下の浅い部分を通り、川湯温泉街のいたるところで温泉として湧き出しています。

川湯温泉 地下水と温泉層の逆転現象
他の地域で温泉を掘るときには、地下数百mから数千mまで掘ることが多いですが、川湯温泉街付近では 地下1~30mくらいまで掘るだけで温泉が湧き出します。これは地表に近い地層に温泉が流れ、地下水と温泉層の逆転現象が起きているためです。他では見られない珍しい現象ですが、地下を掘ると最初に温泉が出てくるため、井戸水を利用していたところは真水の確保に大変苦労しました。また、川湯温泉は、強酸性の硫黄泉として知られていますが、これは硫黄山の地下にある硫黄成分に由来するものだと考えられます。一方、川湯温泉街から数キロ離れた川湯温泉駅前付近では中性を示す重曹泉が湧き出しています。このように近距離で泉質が異なる温泉が湧き出しているのも川湯温泉の特徴です。

記:川湯エコミュージアムより転載

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2019.10.10 06:15 | 固定リンク | 川湯温泉
川湯温泉 明治時代の硫黄採掘
2019.10.09
川湯温泉 明治時代の硫黄採掘
 川湯にあるアトサヌプリ(硫黄山)は、名前のとおり硫黄鉱石の豊富な山であった。
 採掘が本格的に始められたのは、明治10年(1877年)のことで、釧路の魚場持ちだった4代目佐野孫右衛門が、硫黄山の硫黄鉱区域約5万坪を開拓使から借り受け、30数人の抗夫を使って行った。佐野は、その翌年から3年がかりで、硫黄山の山元から釧路までの道路を切り拓き、馬と船を利用した運搬を行った。
 明治16年(1883年)には、硫黄の精錬器を導入し、1万3千8百トンを採掘し、全道一の採掘量をあげたこともあった。しかし、その後は生産が落ち込み、2年後には銀行家の山田慎に譲渡されるが、山田慎も資金不足のため、明治20年(1887年)に安田財閥の祖、安田善次郎に経営権が移った。安田は、その年のうちにアトサヌプリ(硫黄山)から標茶間の鉄道を完成させ、標茶から釧路間の運送用川舟を蒸気船に変更し、蒸気精錬器を導入して事業の近代化を進めた。
 この鉄道(通称硫黄山鉄道)は、当時道内で2番目のもので、機関車はアメリカ製、貨車はイギリス製、レールはドイツ製で、工期7カ月、総工費17万6千9百円で完成させたのだった。
 鉄道が通るようになると、沿線には次第に家が建ち並び、明治25年((1892年)には、一般の旅客も乗せる釧路鉄道へと生まれ変わった。しかし、鉄道による硫黄の大量輸送や蒸気精錬器を使った近代的な事業は、資源の枯渇を招く結果となり、明治29年(1896年)、硫黄採掘は中止になり、鉄道輸送も廃止となった。
 翌年、鉄道施設を国に20万円で売り払い、安田は硫黄採掘事業から撤退した。この鉄道が現在の釧網本線の基礎となっている。

記:財団法人自然公園財団より転載

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2019.10.09 06:21 | 固定リンク | 川湯温泉
湯治場だった頃の川湯温泉
2019.10.07
湯治場だった頃の川湯温泉
 川湯温泉の名前は、アイヌ語の「セセキベツ」(湯の川)に由来します。その意味のとおり湯川温泉と名づけるはずでしたが、すでに函館の温泉名に使われていたため 並び順を入れ替えて「川湯温泉」と名づけられました。今でも名前の由来となった湯の川が街の中心を流れ、温泉川として親しまれています。

湯治場だった頃の川湯温泉
 川湯温泉の発見は硫黄山で硫黄の採掘が始まったころとも言われていますが、はっきりとはわかっていません。明治19年に初めて温泉宿は開かれましたが、硫黄山で働く坑夫たちの賭博場になり営業不能となってしまいました。明治37年に仁伏で木材業をしていた浅野清次が全く人気のない川湯温泉に温泉宿を再び開業しました。これが五月女旅館で、今日の川湯温泉の元祖と言えます。このころから川湯は優れた硫黄泉質の温泉が世の中に広まり始め、湯治場として利用されるようになりました。当時は、斜里や北見方面などからの湯治客が中心で、特に農閑期に入ると農家の人々が1年の体の疲れを癒すために多く訪れたようです。このように、川湯温泉は湯治場として始まったのです。

湯治場だった頃の川湯温泉
 湯治客は、馬車に米や味噌、鍋や釜や布団などを積んで川湯温泉にやって来ました。川湯の温泉で3週間も湯治すれば病気や怪我が治るといわれ、宿に寝泊りしながら治療しました。硫黄泉の強い刺激を受けた体を休めるために、中性の温泉で「なおし湯」をすることもあり、さまざまな泉質の温泉を有する川湯ならではの湯治が行われていました。そして怪我など治ると感謝の気持ちを込めて御不動さん(不動明王)にお参りし、使っていた杖などを納めて帰った湯治客もいました。また、温泉は人の湯治場としてだけでなく、客車や木材運搬用の馬が怪我をした時に治療する場所としても利用されていました。

記:川湯エコミュージアムより転載

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2019.10.07 19:35 | 固定リンク | 川湯温泉
川湯温泉駅 駅舎の一部には足湯も設置 駅舎と喫茶店「オーチャードグラス」が併設
2019.10.06
川湯温泉駅
 昭和5年に国鉄の川湯駅として開業。昭和62年4月以降はJR北海道に継承され、翌年からは名称も川湯温泉駅と改称された。
 駅舎は硫黄山を望む山あいに位置し、昭和11年に改築されたもの。建物の下部はイチイの丸太を組み、上部はカバの木をそのまま装飾に用いた、どこか懐かしい高原の山小屋を思わせる。

川湯温泉駅 駅舎の一部には足湯も設置
 駅舎の一部には足湯も設置され、泉質は川湯温泉街の硫黄分を多く含むとは違い、ナトリウム炭酸水素塩泉で「美人の湯」として親しまれている。
 また、駅舎内には喫茶店「オーチャードグラス」があり、駅舎と喫茶店が1つになった珍しい駅である。

記:財団法人自然公園財団より転載

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2019.10.06 06:28 | 固定リンク | 川湯温泉
川湯温泉 公衆浴場「温泉ノート」
2019.10.05
公衆浴場「温泉ノート」
川湯温泉市街地、足湯の目の前 郵便局隣にある公衆浴場です。ここの公衆浴場も、源泉100%掛流しの湯、自噴しています。男女別の風呂には、熱めの湯と少しぬるめの湯の2つあります。250円で入浴でき、入浴時間は午前9時~午後8時までとなっています。

公衆浴場「温泉ノート」
管理人さんに許可を頂き 浴場内にある温泉ノートをコピーさせて頂きました。病気が良くなった、肌がツルツルなったなど。

記:2012年

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2019.10.05 06:10 | 固定リンク | 川湯温泉
川湯温泉 地図
2019.10.04
2019.10.04 06:15 | 固定リンク | 川湯温泉
川湯温泉 弟子屈町、観光協会、環境省、温泉ホテル宿泊
2019.10.02
2019.10.02 06:26 | 固定リンク | 川湯温泉
撮影、制作、著作、運営管理
2019.10.01

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上野靖 北海道北見市


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2019.10.01 06:20 | 固定リンク | 川湯温泉

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